2019 June

 

 
 
NTTインターコミュニケーション・センター「ICC」に「OPEN SPACE 2019-Alternative Views 別の見方で」を見に行く。「オープン・スペース」展は毎年メディア・アート作品をはじめとする現代のメディア環境における多様な表現を取り上げる幅広い層に向けた展覧会、メディア・アートの代表的な作品から新進のアーティストの作品、研究機関で進行中のプロジェクトなど毎回とても楽しみ。

 

 

 
 
今年のタイトル「別の見方で」は世界を捉える別の視点が私たちの考えを更新するという提示も興味深い。インタラクティブな体感できるメディア・アート作品はその技術の進歩と視覚的体験が頭の中でシンクロする・・・、不思議な空間体験。

 

 

 
 
このNTTコミュニケーション・センター「ICC」は日本の電話事業100周年(1990年)の記念事業として
1997年にオープンしたNTT東日本が運営している文化施設。コミュニケーションというテーマを軸に科学技術と芸術文化の対話を促進・・、とあるように毎回テクノロジーの進化を体感する展覧会が素晴らしい。エントランスのフロアに続く「アート年表」のようなインスタレーションも興味深くなかなか展覧会にたどり着けない。

 

 

   
 
 
エレベーターホールに展示されている建築家・北川原温氏作品を写真家・高木由利子氏が撮影した巨大な写真パネル、インテリアというより建築の一部になったような美しいモノクロームの作品に圧倒される。

 

 

   
 
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母の親友である画家の佐野ぬい氏の個展に伺う。「青の画家」、「佐野ぬいのブルー」と言われる青色を基調とした大きな作品は87歳という年齢を感じさせない迫力。0号の小さなキャンバスの連作はストーリー性があって可愛らしく、対照的な作品がリズミカルに並ぶ。第16代女子美術大学学長でいらした頃と変わらずチャーミングなお人柄も健在、母の思い出話も尽きない。

 

 

 
 
 
初夏というより真夏のような暑さの中スリランカ料理のレストラン「バンダラランカ」にランチに行く。四谷の閑静な住宅街に悠然と佇むゴシック調の洋館は「アートコンプレックスセンター」という巨大な貸しギャラリー、地下には100坪の展示スペース、2階には5つの展示スペースがあり長い廊下には各スペースの展示作家の資料やパンフレットが並ぶ。その一階がレストラン、思いがけない発見と日本とは思えない荘厳な建物に何とも不思議な気分・・・、外は陽炎でも見えそうな灼熱。

 

 

   
 
 
 
湯島の国立近現代建築資料館に「安藤忠雄 初期建築原図展―個の自立と対話」展のオープニングに伺う。土砂降りの中、驚くほど大変な人が集まりさすが世界の安藤氏・・・。会場が静かになるのを待ってゆっくり拝見する。オリジナルの図面やスケッチは興味深く、建物の設計プロセスを知る貴重な展覧会。

 

 

 
 
建築写真家、大野繁氏の写真展「ISTANBLUES パムクの影を探しに」に伺う。美しいモノクロームのゼラチンシルバープリントの作品が並ぶ涼やかな雰囲気の中、まだ訪れたことのない遠いイスタンブールに思いを馳せる。

 

 

 
 
初夏のような軽井沢、脇田和美術館で「相原求一郎の軌跡ー大地への挑戦」を見る。北海道の自然を描き続けた画家、相原求一郎(1918-99)の生誕100年の記念展。川越の裕福な卸問屋に生まれた氏が兵役生活を過ごした満州の広大な大地が後の画業に影響を与える原風景となり・・・。戦後はモダニズムの画家、猪熊弦一郎に師事し新制作を拠点に活動したという。モノクロームの抒情的な山々の絵が迫りくるような迫力、素晴らしい展覧会に感激する。

 

 

   
 
 
長年パリに住みながらなかなか行く機会のなかったシャンゼリゼ劇場。大好きな建築家、オーギュスト・ペレの設計で1913年に完成、アントワーヌ・ブルーデル、モーリス・ドゥニ、など錚々たる芸術家たちが美術を担当。興行主であったジャーナリストの提案でオペラ座のような伝統的な劇場に対して、新時代の劇場にふさわしい現代的な作品を上演することが提案され、最初のシーズンにバレエ・リュス(ロシアバレエ団)によるストラビンスキー「春の祭典」の初演が行わる。そのあまりの前衛性がスキャンダルを巻き起こしたことは音楽史上有名な事件。

 

 

 
 
 
そんな件のシャンゼリゼ劇場、今はオペラの公演が年に3回の他は数回の見学会があるのみ。タイミングよく音楽の日の公演、満席の臨場感を味わう。

 

 

 
 
 
ポンピドーセンターで「Dora Maar ドラ・マール 1907-1997」展を見る。シュルレアリズムの写真家、ピカソのの「泣く女」のモデルとしても有名なドラ・マール、その幅広い活動とリンクした人々などフランスのアートシーンに欠くことの出来ない伝説の女性。その壮大な人生と華やかな交友関係から生まれた数々の写真作品が大きな会場を飽くことなく埋め尽くす。当時のフランスのアーティストの殆どを網羅しているとも言えるその行動力と人脈に驚く。

 

 

 
 
 
1907にパリ6区で生まれたドラ・マール、幼少期を建築家の父の仕事の関係でブエノスアイレスとパリを行き来しながら育ち、中学を卒業と同時に装飾芸術中央連合会に登録し女子美術教育の促進を目的とする活動に参加、ここで後にシュルレアリズムの作家、アンドレ・ブルトンの妻になる生涯の親友ジャクリーヌ・ランバに出会い数々の人脈を築くというからその行動力は早くから開花していた。その後リセ・モリエールで高校時代を過ごし名門、アカデミー・ジュリアンとキュビズムの画家アンドレ・ロートのアトリエで学ぶ。この時に後に世界的に有名になる写真家、カルティエ・ブレッソンと出会う・・・、全てが運命のように繋がっている彼女の人生をクロノロジカルに追う。

 

 

 
 
 
パリ市立写真学校への入学を勧められる頃から写真家を目指しモード雑誌やグラフ誌に作品を発表、同じく写真家のブラッサイと共同のアトリエを持つ。社会問題への関心も高く同志としてアンドレ・ブルトンたちと活動していた頃、サンジェルマン・デ・プレのカフェ・ドゥ・マゴでピカソに出会う。ピカソがパリ万博のスペイン館の壁画のために「ゲルニカ」を制作過程を撮影、ピカソの恋人としての存在を象徴する作品があの「泣く女」というエピソードはなかなか残酷。ピカソを取り巻く数々の有名アーティストのポートレート作品は皆リラックスした表情でその交友関係が伺える。CHANELが展覧会のスポンサーであることもドラ・マールを象徴するよう。

 

 

   
 
 
 
 
ポンピドーセンターで「Prehistoire une enigme moderne 歴史以前ー近代の謎展」をみる。
人類の誕生以前から石器時代、文明の誕生までの壮大な過去にアーティストがどのようにイマジネーションを求めて来たか・・・、壮大なスケールの展覧会。セザンヌやエルンストが自然にインスピレーションを受け、キリコがオブジェのモチーフを見つけた、全く新しい解釈が年表のように並ぶ。アーティストにとって自然や歴史はイマジネーションの宝庫であることはいつの時代も変わらない。

 

 

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パリで最も好きな美術館「パレ・ド・トーキョー」。常設展はなく常に複数の企画展が長いスパンで入れ替わり、いつ行っても新鮮な驚きと発見に満ちたワンダーワールド、現代アートのびっくり箱のよう。2200uという大空間にオブジェやインスタレーション、ビデオアートと全く違うタイプのアーティストが混じり合い、クリエーターは自由にイメージ通りに展示できる大空間。

 

 

 
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ボルドー出身の建築家ユニット、ラカトン&ヴァッサルによるコンクリートの打ちっぱなしの現場のような大空間。
現在進行中の展示の横で次の展示の準備、大掛かりな施工は「もしかしてインスタレーションの作品では?」と思ってしまう。大きく自由な空間に全く違った世界が次々に広がる、夜12時までオープンしているのも嬉しい。

 

 

 
 
 
 
 
ヴェネチア・ビエンナーレですら各国のパビリオンが存在し、ボーダレスを唱っていながら実はカテゴライズされている。今では幾つかの国籍を持ち、国籍とは違う街で生き、いくつもの言語を話すことが珍しくない時代。パレ・ド・トーキョーの自由な空気感に何とも解放された気分になる。外に出ると初夏の風が爽やか、昨晩の音楽の日の名残りか深夜だというのに街はまだまだ賑やか・・・。

 

 

 
 
自由で大がかりな展示が続く中、一際整然としているこのブースはAUDIが提供する「AUDI TALENTS」の受賞者のインスタレーション「alt+R Alternative Realite」。無秩序な自由も楽しくて良いけれど、秩序のある整った形式もまた違った美しさがある・・・。膨大な量のアートを見続け熱くなった目を最後にクールダウンする涼やかな空間。

 

 

   
 
 
ポンピドーセンターの地下にある写真専門のギャラリーで「SHUNK-KENDER L'art sous l'objectif -レンズを通したアート 1957-1983」展を見る。ドイツ生まれのハリー・シュンク(1924-2006)とハンガリー生まれのヤノッシュ・ケンダー(1937-2009)の2人は50年代後半にパリで出会う。クリストの初期のアートワークやイヴ・クラインのパフォーマンス、NY時代の草間彌生のハプニング、ロバート・ラウシェンバーグやニキ・ド・サンファルのアトリエなど今や巨匠となったアーティスト達の若かりし頃を捉えた時代の息吹が感じられる貴重な記録。1968年には拠点をNYに移し伝説のイベントやアーティストのポートレートを撮り続けその数は400人を超えたという。

 

 

 
 
アーティストのパフォーマンスを当時はまだ珍しかった合成写真で制作するなど黒子に徹したコラボレーターでもあった彼らは常に「シャンク―ケンダー」の連名で作品を発表、個人としてのオーサーシップ(作家の権利)には拘りが無かった。コンビを解消した彼らの残された作品の管理を任されたシャンクの死後発見された20万点にも及ぶ作品のネガやプリント、コンタクトシート・・・。NY市の管財人によって競売にかけられた写真資料の全てを買い取り散逸を防いだのはポップ・アートの巨匠ロイ・リキテンシュタイン財団。5年もの歳月をかけて整理とデジタル化に努めその後ゲティ研究所に寄贈、それらがMOMA、ポンピドーセンター、ロンドンのテートギャラリーなど世界の主要美術館に分配されたという。写真作品を巡る壮大なロマンを感じる一連の出来事に思いを馳せる。

 

 

   
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
14区に新しくオープンしたアンスティテュ・ジャコメッティを初めて訪れる。ジャコメッティが住んでいた同じ14区の庶民的街区にある歴史的建造物の1・2階を改装してアトリエを再現。1900年代の初めから30年代にかけて活躍したポール・フォロのアトリエ住宅であったこの邸宅、天井にはアール・ヌーヴォーの植物模様、ステンドグラスやタイルは幾何学模様のアール・デコスタイル。ウエッジウッドの器やクリストフルの銀器、豪華客船ノルマンディ号の内装などを手掛けた彼自身の設計によるものだそう。隣の建物には1913-16年にピカソが、11番地には1955-86年にボーボワールが住んでいたモンパルナスの歴史的街区。

 

 

 
 
 
expo index アルベルト・ジャコメッティ(1901-66)が住んでいた家は14区のインポリット・マンドロン通りに今も残されている。イタリア国境に近いスイス、ティチーノ地方で生まれ、1922年にパリに来て26年から亡くなるまでの40年間をこの庶民的な地区の小さな家に隣接した粗末な物置のようなアトリエで制作して過ごしたという。物やお金にまるで関心がなく晩年世界的に評価されるようになってもそれは変わらず「余計な要素を究極まで削り取る」ことを目指したジャコメッティ、その作品が全くタイプの違う他のデザイナーの設計による豪華で瀟洒な建物に並ぶ。アトリエに至ってはその対比を見るような何ともチグハグな空間。初期の素描など貴重な展示もあるけれどジャコメッティの世界に集中するのは難しい・・・。 page top

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